まいにちなにか。

日々なにか想いこと 混雑した心のままに書いて そしてわたしの頭をシンプルにしていこうじゃないかと云うブログである。

年明け62日め こうありたいを少しずつかきだしてみる

こうありたいを頭では浮かばすことができても

なかなか有言できないもので

できたらいいなー

となんとなしに思ったり

それを形にしたいとは思っていても

なかなかで

こんな様になっているわかで

 

私の今後の働き方

住まい

ライフスタイル

ライフ設計

そのほかいろいろ

組み立てたいのだけれど

どうしたものかと

こうしたいなー

こうなりたい

という想いは強くも

叶わないだろう部分と

行ったり来たりしていて

右往左往ないま

どのように組み立てて

搾取選択するかなのですが

うまくかんがえがまとまらない。

年明け61日め ひとのいろんなかたち。

人には人に宇宙があって

宇宙って考え方というか

世界観で

別々の世界観を持つものが

同じ生命体として生存しているのだと思っていて

だけど

価値観というのはやはり

同じでありたいとか思うわけで

そうしたらケンカしないだろうとも思うのですが

しかし そうなると世界観て偏ってしまって

アンバランスになって崩壊してしまうんだろうなとも

ちょっと思ったり。

いや かなりアンバランスで世界はまわらないかなー

 

で、同じではないところで

帳尻合わせとか

すり合わせしてうまくいくように

でなければ そこから去るという手段もあったりして

そうやって生きていくものなのですね。

こうだったらいいのになー

っていうのは常でありますが。

 

こうして書きながらも浮かぶことや

整理されること

発見があったりするのですが

ここに着手するまで数時間かかって

こうして書き込んでいるわけですが

 

私もっと人懐っこさがあったらいいのになーとか

人の心にもっとはいっていけるような懐があったらいいのになーとか

つよく思うわけなのですが

なかなかどうしてそうなれない私がいて

もどかしいのです。

例えば 同居はじめたばかりのおっとさんは

毎晩くっついてこっちをむいて肩枕もしてくれたのに

今では ベッドに入るじてんで私に背を向け

タブレットをベッドサイドの灯りのほうに向けて

目覚めてもあっち向いてることのほうが多くて

悲しいのです。

つよくは言わないけれど

最近 そっち向いてるよね?

朝陽がまぶしいから?と自分から誘導するような聞き方して

そうだよ、って簡単に答えられてしまって

なんだか寂しいですね

その寝るときだけの問題だけではなくて

いろいろさみしいと思うこと多くなっていますが

夫婦というのは

そういうものなのだろうか?

という反面で

これは 相手の問題も大いにあるだろうなと

そんな風に思ったりして

私がまだ新婚ほやほやで

愛が足りないと思ってしまっていて

おっとさんにとっては

もう夫婦の中盤くらいにあると感じているのではなかろうか?

そう思うとなんだか淋しいですね。

同じではない宇宙の中で

少しでも寂しくないように生きていたいのですが。

 

こればっかりは私の解釈の仕方と

態度なんだろうなーとか思ってしまうわけですね。

年明け60日め 誰からも認められたい 承認欲求

私は過去のこと引きずりやすいかもしれない

そして 誰からもかわいがられ

誰からも愛され

誰からも肯定されて生きていたい人だ

仲間や友達もいっぱいいて

交流もできて

そんな人になって生きたかった

 

そう思ったのは

くつろぎタイムで

あることを思い出してだった

 

初婚同士ではないにせよ

相手さんの親御さんからもっとかわいがられたかったなとか

きっと最初のお嫁さんをかわいがっていたかもしないとか

そんなことがよぎった

 

私の初婚の義理のお義母さんは元夫であった息子さんとその兄妹を置いて

故郷に帰ってしまい

そこで新しい家庭も築いていて

旦那さんもいたり

家族も周りにいてっていう環境だった

それで 息子である元夫であった人物とは会うこともほぼない状態であったが

結婚のときの挨拶と

翌年に行っている

嬉しそうに私をかわいがってくれる様子で

今回はまったくその要素なしというか

おっとさんの婚歴もかなり複雑で

その要素あって近づかないように

近づけなくなっているのかもしれない

そんなことも思いつつも

なんかさみしくて切なくて

正直 こんなものなのかなぁ?という疑問があったりする。

 

この問題はおいおい追記していこうと思う。

年明け59日め 混乱した日本

どこもかしこも コロナウィルスのことでいっぱいです。

 

今日は のこり2個になった

トイレットペーパーと

ボックスティッシュを買いに行きましたら

棚がゼロでした。

 

こんなんこと初めてです

愕然としました。

買占めしている人の神経がしれません

要る分だけかってもらわないと

もうおうちにギリギリなかった人のことは

どうでもいいのでしょうかね。

年明け58日め 私は気づいている びくびくしながらいつも生きているということを。

何かしらに怯えて生きているし

委縮して生きていることに気付いている

 

もっと開放的に 

気にせずに生きたい。

おっとさんに いつ怒られてしまうか

機嫌を損ねられてえい回れないか

いっぱい考えて疲れてしまう。

 

もっと自由であっていいし

怒られたとしても気にすることない。

 

やはり 育成環境の中で身についてしまったことが

引きずってしまっているのだろうか?

 

開放的に生きたい。

年明け58日め 私は気づいている びくびくしながらいつも生きているということを。

何かしらに怯えて生きているし

委縮して生きていることに気付いている

 

もっと開放的に 

気にせずに生きたい。

おっとさんに いつ怒られてしまうか

機嫌を損ねられてえい回れないか

いっぱい考えて疲れてしまう。

 

もっと自由であっていいし

怒られたとしても気にすることない。

 

やはり 育成環境の中で身についてしまったことが

引きずってしまっているのだろうか?

 

開放的に生きたい。

年明け57日め 平和のようで平和じゃないよな

今日も平和だったなーって思ったけれど

いや ひとつ

クリアできない問題があったことが浮かんだ

京都からでてきてるおじいちゃんお客さんのことだった

 

ねちねちしているというか

いやらしいというか

スタッフに対しても品がないというかげすいというか

自分は高級マンションに住んでいるんだ

俺に叶わないだろうということを遠回しに言ってきたそうだ

俺の下で働かないか(多分家政婦さん的なことで)

そのスタッフさんは地元でもけっこう敷地の広い一戸建てに住んでいて

その高級マンションなんかよりずっと上なのに言い返せなかった

あと後で聞いた話なんだけれど それだけでも気持ちの貧しい人だと思う

 

なんか ここは東京なんだけれど

京都ひいきで

なら 京都で威張っていればいいじゃないかって思うのよね

お国自慢自分ところでしてよ

東京の人は味付けが下品だとか

なんかかんか文句つけてくるので

そのお客さん姿が見えるたびに

連鎖反応で このひといやだーってなるわけです。

 

今日は アルコール消毒ないの?とほかのメンバーさんに聞いたようで

まだ準備段階にあったアルコールのボトル(プッシュ)部分を上げていない状態を

そのまま渡してしまって

レジをしていつつみていた私が

ああ あかないと怒るなーって急いで

「すみません まだ新しくて開けますね」って言ったら

舌打ちしてっかーってなんだよーって言われてしまった

 

休憩上がってまだそのお客さんいたのです

レジにきてお店のサービスでやっている

500円のお食事ごとに一つスタンプの50こ集まると500円引きサービスもあるのですが

それを見せて

「まーだこんなにあるの?」と

いやいやいあや、こういうサービスあるだけでありがたくないの?

すっごくせせこましい人だな。

こそっとサービスして一つおまけして押して差し上げたのに

まだ残ってると文句を言う

そんな態度されるとほんとげんなりするよね。

 

そのこと おっとさんに話したんだけど

おっとさんは今日の国会中継枝野幸男さんの一緒に聞きたいと

ユーチューブでじゅんびしていて

はんのう全くなくて

さみしかった

私はそのおじいちゃんのお客さんの対応

認知をいかにしたら楽になるか知りたいところなのです

うまくかわして 引きずらないようにしたいし

嫌いにならずに スルーできないものかと思うのです。