まいにちなにか。

日々なにか想いこと 混雑した心のままに書いて そしてわたしの頭をシンプルにしていこうじゃないかと云うブログである。

年明け67日め 引き寄せの法則

2年前 近くの書店でスケジュール帳を探しました

自己啓発のスケジュール帳があることを知り

その中で 

はづき虹映 魔法の手帳
 
 
 
 
という手帳を見つけました。

 

その手帳を手にし書き込んで
良いことの起きた年で
今年もお世話になっています。
スピリチュアルの世界です。
宇宙の法則
今回 ブログも発見しまして
読み込んでいました。
今年は なにやら
大波乱と共生の年のようです。
購入したころは ほんとかな?と思っていましたが
おお という感じであります。
 
物事は 起きていることは
幸不幸なく
事実で
それに対して
悲観的になるか
学びのチャンスととらえるか
自分次第ということなのだ。
宇宙の法則
 

年明け66日め 通院日

今日は 月に一度のメンタルクリニックの通院日でした。

 

ゆっくり夫婦で起きて 

ゆっくり昼下がりをすごし

ゆっくり車で行きました。

結婚してから運転回数がめっきりへって

運転が鈍くなった感覚

病院の診察は 30秒程度

変わりないですか?

ないです

ご主人50歳かぁ  就活は?

してないと思います。

じゃぁ いつもの30日分の処方箋出しておきますね

でおしまい

帰りはおっとさんと町に散歩してお買い物して帰ってきました。

帰りに ぽそっと

ありがとう と急に言われました

どうして?ときくと

もう 一緒に暮らして2年になるんだよね

ああ 2年だー

アニバーサリーだねぇー

 

アニバーサリーしようねと言いました

 

2年早いですね。

 

年明け65日め 母に感謝している。

 今日は母が退院してから初の受診日でした。

血液検査 栄養指導 そして主治医の指導

血液検査の結果は良好

栄養指導では 体重が落ちすぎで食事量が少なすぎる

主治医は 運動不足を指摘

そして 入院中に話のあった

抗がん剤での治療を施すかどうかの答えを出すことでした

まだ 治験のデータが出そろっていない段階にあって

良い結果が2割でしかまだわかっていない

悪い結果というのもないそうだけれど

抗がん剤には3通りあって

抗がん剤 飲み薬

点滴と飲み薬 飲み薬

母の場合 転移がないので

飲み薬のみでよいと

そして体重も軽いので少ない量で

ということになった

副作用には

主に

吐き気 倦怠感 口内炎ができやすい 

骨髄抑制https://www.haart-support.jp/information/se07.htm

良い菌も殺してしまう薬剤なので、

どうしても副作用のうちでみられることがあるのだとか

ほかには 下痢 色素沈着 貧血

薬剤師さんの丁寧なせつめいでだいぶわかりやすかったです。

ただ 副作用は出ないでほしいところです。

これを何クールか行うのです。

 

結果論を話しても

今起きている現実と向き合わなければなりません

リンパに少しあると思われる数値だったので

根治に向けて薬での治療に挑むことにしました

本人も 何もしなくてあのとき措置しておけばよかった後悔より

何かしらしてのほうの選択をしました。

 

たらればの話をしても

現実がそうなのだから無視できない

ただ薬で精神と身体をもむしばむほどのことはなってほしくはない

そこは主治医も我々も同じ意見でした。

母は物心つく頃からお嫁入は決まっていて

すぐに私が授かり

私は小さいころから問題があって

たくさん心労もかけてきました。

私が最初の結婚時期(30代前半)頃から母のことが寛大だったなと思うようになり

母のその心のスケールの大きさに感謝しています。

母なりにまだ20代前半で苦労してきたと思います

まぁ その頃の話をしても

最近では え?そんなことがあったっけ?と

真顔で返されます。

のど元過ぎれば熱さ忘れる

かなぁ。

時々ふっと私が幼いころの光景が浮かび上がって

母がなにしてくれたかにしてくれたと

そして両親

姉妹としての思い出が出てきます。

 

それと相まって

今の夫婦のことが浮かびます

これでいいのだろうか?

これが正しいのか?

どれが正しいのか?

たくさんたくさん

ものすごくたくさん

そのことが強迫観念のようにつきまとうのです

幸せなのかな

不幸せなのかな

どうして暮らしているのかな

何を思って生きているのかな

これって

私が思ってしまうと

生霊みたいに相手にとんでしまわないかしら

逆に相手方が思うから私が思うのだろうか

どうなのだろうか

年明け64日め 言うべきか言わざるべきか

昨日の続きになるのだが

クレームおじさん 以降仮名小さなエレファントさん(小象さん)

小象さんの話を あまり大きく扱うことによって

周囲が気にかけすぎて不自然になってもだし

そのお客さんと別のお客さんが特にいざこざになったわけではないので

話を大きくすることもないかな?とパートさんAと話がついた

今日はAさんはいなくて

パートBさんがいたのですが

そのことを話すべきか話さないでいるべきかを

非常に考えまくりました。

ほぼお客さんがゼロに近い状況が多めの今日

言うとしたらどう伝えよう

誤解があってはいけないなと思ったし

途中入金作業を頼まれて 入金先の銀行で着席している時に

なんとなく言葉はまとまったものの

Bさんの元へ戻ると

Aさんと話がついた時のことも強く出てしまって

結局言えませんでした。

事件のあった当日は Bさんが休憩に行っているさなかにあって

そのことを報告する問題じゃないと判断して私一人におさめていたこと

気に留めていなかったこと

本来ならば メンバー支援のあるこういう場において

ネグレクト禁止されているはず?の場で起きていること

パートさんが休憩行って メンバー一人をホールに配置することが

良いことなのか?

疑問です。

以前は 事務仕事をする場所がレジ脇にあったのを崩して

完璧にあばら家の事務所をつくってそこで一人作業の場とし

誰も入れないような空間を作っている。

その社員さんがパートさんが休憩中は出てくるべきでは?

と思うのだが違うだろうか。

そして それでも無理であれば 足りているところの職員さんを配置すれば

問題も防げそうですよ。

 

それを怒って 私がまずパートさんに報告するべきで

その報告を受けたパートさんから職員に報告するのが筋だと云うのは

なんか道理ではなさそうな

いや もっと話しやすいというか

普段から報連相しやすい空間作りさえされていれば

それが 自分の中だけにため込んでおけば良い問題として

とどめておくことも無かっただろう。

なので こう話したかった

“一昨日のことでしたが Bさんが休憩に行っている間のことで

小象さんが向かいに座られていたお客さんに

「奥さん!奥さん!(私のことかとすぐさま目を向けると

その小象さんの目線は別の向かいにいらっしゃる二人組の女性に向かって)

静かにしてくださる?もっと小さな声で話して」

「ごめんなさいね。」

と言ってる

(コロナウィルスの件があってなのか大声で話すと唾がより飛ぶから?

)

私は黙ってみているしかできず

もし言われたお客さんが気分悪くして帰ることがあったりしたらどうしよう

そんな気持ちでいました。

そして最近はいつも小象さんが来店されて かならず因縁

(お店の味付け スタンプカードのポイントが溜まりにくい)付けてきたりするので

どう対処すべきか毎度毎度構えてしまうんです。

そんな問題があり

昨日話をするきっかけがたまたまAさんとできたことで

Aさんは職員に通告してもいいかという許可を得られたので

私のほうからお願いをしたら

職員さんに逆切れのようなことがあって

Bさんの気を悪くすることもしたくなくて

しかし 一昨日のお客さんに直接文句を言うことが

危険だということを認識はしたのでなんらかの対応は

必要になってくるかもしれません

そんな風に言えたらよかったかな

付け加えられるとしたら

職員さんが 言いやすい環境を作ればこういうことが

防げると思うのですけれどね

とも言えたのだが・・・

どれが正しいことだったのだろうか

 

 

 

年明け62日め こうありたいを少しずつかきだしてみる

こうありたいを頭では浮かばすことができても

なかなか有言できないもので

できたらいいなー

となんとなしに思ったり

それを形にしたいとは思っていても

なかなかで

こんな様になっているわかで

 

私の今後の働き方

住まい

ライフスタイル

ライフ設計

そのほかいろいろ

組み立てたいのだけれど

どうしたものかと

こうしたいなー

こうなりたい

という想いは強くも

叶わないだろう部分と

行ったり来たりしていて

右往左往ないま

どのように組み立てて

搾取選択するかなのですが

うまくかんがえがまとまらない。

年明け60日め 誰からも認められたい 承認欲求

私は過去のこと引きずりやすいかもしれない

そして 誰からもかわいがられ

誰からも愛され

誰からも肯定されて生きていたい人だ

仲間や友達もいっぱいいて

交流もできて

そんな人になって生きたかった

 

そう思ったのは

くつろぎタイムで

あることを思い出してだった

 

初婚同士ではないにせよ

相手さんの親御さんからもっとかわいがられたかったなとか

きっと最初のお嫁さんをかわいがっていたかもしないとか

そんなことがよぎった

 

私の初婚の義理のお義母さんは元夫であった息子さんとその兄妹を置いて

故郷に帰ってしまい

そこで新しい家庭も築いていて

旦那さんもいたり

家族も周りにいてっていう環境だった

それで 息子である元夫であった人物とは会うこともほぼない状態であったが

結婚のときの挨拶と

翌年に行っている

嬉しそうに私をかわいがってくれる様子で

今回はまったくその要素なしというか

おっとさんの婚歴もかなり複雑で

その要素あって近づかないように

近づけなくなっているのかもしれない

そんなことも思いつつも

なんかさみしくて切なくて

正直 こんなものなのかなぁ?という疑問があったりする。

 

この問題はおいおい追記していこうと思う。

年明け59日め 混乱した日本

どこもかしこも コロナウィルスのことでいっぱいです。

 

今日は のこり2個になった

トイレットペーパーと

ボックスティッシュを買いに行きましたら

棚がゼロでした。

 

こんなんこと初めてです

愕然としました。

買占めしている人の神経がしれません

要る分だけかってもらわないと

もうおうちにギリギリなかった人のことは

どうでもいいのでしょうかね。