まいにちなにか。

日々なにか想いこと 混雑した心のままに書いて そしてわたしの頭をシンプルにしていこうじゃないかと云うブログである。

年明け49日め 社会投影 会社投影 日常投影 

社会で起きていること

会社で起きておること

似てるなーって

思うのです

嘘八百とか

嘘か誠か不透明さを帯びた事柄

以前にもここで触れたかもしれない

就労支援先の上の人が

おっとさんに言い放った言葉

 

それは

休憩が取れない

スタッフに回せない

それを訴えたら

突然ある日突然面談入れられていて

こう話してきたそう

“休憩なんかとれる会社なんか一部の上場企業のほんの一部だけ”

それより 一生懸命仕事に従事して

楽しいと仕事していれば

そんな不満出てこないんだぞ

そのような叱咤激励だったそうだ

どこかのブラックの会社が言いそうなセリフのままだ

嘘をつくことには賢くて

賢い??

ずる賢くて

びっくりする

 

なので私もおいとまする時を見計らっているのだが

どこに行けばいいか

何をすればいいか

ぐるぐるになってしまって

行き場を踏み込めない

地域では限りがありすぎて

嘘の中でいたくない。

 

意味のない質問だとかなんとか

ああはずかしい。

 

ああ恥ずかしい。

ああ恥ずかしい。

 

年明け48日め 空は灰に青く

今日の空色は 晴れていても霞んでいた。

2月と思えない 気候

生暖かさ もう3月? 4月?

不気味なようでもある。

晴れているけれど 冬のパリッとした晴れではない

空気が黄土色と灰色の間のようだった。

久しぶりに夫婦で歩いて買い物に出た

いつも歩く散歩道

おっとさんはフィルムカメラでいろいろ撮って歩く

風景写真

この景色も数年先 10数年先 30年先 100年先

変わっていくんだろう

そして変わったときに

今の写真を見たら

その時の人は私が今 数年前 10数年前 100年前の景色を見るように

新鮮だろう

そう思っておっとさんは写真にしたためるようになってきたのだ。

 

私が残したくてのこせなかったものと

今日も闘って過ごしている

いつもいつも自問自答でしかならないこの状況と

この数年間闘っている

神様が決めることだから?

運命が決めることだから?

自分で決められるかな?

何事も解釈次第なのかな

それとも叶ったとしても悪夢になるんだろうか

もうそれは螺旋の弧を描くようにループして行き場がないほどに

毎日毎日私の頭の中で押し問答している問題だ。

 

叶った人はいいなとか

じつは おっとさんはそれは叶っている問題で

いいなーって

そんな

おっとさんにいいなーって

言えないし

その話を触れることをしないで

みたいに言ってしまった感じで

結婚してからほとんど

おっとさんからは口にしないし

私がそのワードに触れるのがこわくて言わない

言わないからおそらくおっとさんもそれを察知してか

話さない

交際する前 交際後しばらくは話してくれていたのだけれど

いやだ みたいな感じでそれとなく話した記憶があって

それでなのかな

 

よく 夫婦なんでも包み隠さずいろいろ話し合えるのが

大事っていうのだけれど

大事なんだけれど言えなかったりして

そこは辛いですよね。

なんでもかんでも無鉄砲でもうまくでも言えたら苦労しないし

いつか出口に出るのかな

ここでお互い諦めてお互い納得して

これが叶わない人生踏み出したいといえる時が

そろそろ来るのかな

来ないのかな

なあなあになったまま進んでいって

それでよしとする時が来るのかな?

 

どうなるんだろう

言えないことと

置いてきた気持ちと

その先に続いてる道になにがあるんだろう

変えなきゃいけなかったのか

変えなくてよかっのか

未来にならないとわからない

しんなことが頭の中ループしている

まだ切羽つまっていないことなんだろうか

機械的に何かしなきゃいけないことでもない気はするし

いっぱい考えていることなのだけれど

正解がわからない

マイナスにはたらくこと

プラスにはたらくこと

伝えないでいたことが後悔になるのか

伝えないでいたことがやはり 相手にとってのメンタルにとっても

良かったことになるのか

うんぬんかんぬん

年明け47日め 続けていくこと

誰も ほとんど

アクセスされていないな

やはり 気になるものです

誰も私の記事読む人いないよね。

ブログ 文章って難しい

文章力も語彙力もあらず

読みにくいし

何を訴えかけたいのか

そういうことやはり気になるわけで

私は基本的に何が言いたい人なんだろう

スタンスって何だろう?

とにかく思ったこと綴れば良いということと

やっぱり わかりやすくて訴えたいことしっかり

伝わるように書きたいという想いとで行ったり来たりしています。

 

なかなか具現というのは難しいことであります。

そして パニック障害になって以来

生きていかないんじゃないかと思ったし

心臓破裂でもするんじゃないかとか

どっかで心臓壊れて死ぬと思ったし

パニック発作の恐怖に耐えられず死んでしまうんじゃないかと思ったし

そして 残されているものの形になっているものを残すことも

果てしなく恐怖というのか 切なすぎるので

いろんなものを処分 (見ているとつらいので)

とにかく 死が なんだかわからないものがこわくて恐怖で

残すということがとても苦痛で

それで パニック障害になる前に

おとなりのおばちゃんから これから大人になって日記を書くといいよ

そう お誕生日に日記をプレゼントしていただいたのに

残すのがいやで記録さえも抹消したいそれくらい

強い症状にさいなまれていました

今思えば 日記かいておくべきだった

生き残ったいま

やっぱ伝えられることあるだそうし

どんな苦しかったとか

救われたかとか文章になって証拠があれば

いま 私が苦しんできたことをいま苦しんでいる方の力になれるんじゃないかと

悔いている部分もある

そして 

障害年金の“初診日”がわかれば年金が審査がとおりやすくなる

そんなことも 5年以上前に知って

日記や 診察兼のこっていればしょうこになったなぁと

なので

継続はちからなりなのですね。

中学校の熱血先生も言っていたことです。

 

今日はお休みで おっとさんのやっているlineクリエーターでの着せ替え

つくってみようとおもったものの

難しくて難しくて

デザインも決まっておらず

いつになるかな

年明け46日め 空気読みすぎなのかな?

10歳ころまではやんちゃでしたが

相対して 繊細さもすごかったと自分で思うのです。

やんちゃして素直過ぎて

そして大人になっていま

空気読みすぎちゃうのがあることに気づいて

そういう症状名もきちんとあるんですね。

ハイリーセンシティブパーソン(HSP)というらしいです。

今日のことを例にします

今日は 就労支援先でフロアのスタッフがおらず

開店準備がメンバーである私一人でした

一人で開店準備って実はしたことがないかもしれない。

まぁ そういうシフトしか組めなかったのだろうから仕方ない。

久々にの朝の出と朝の準備をほぼ一人でこなして

そして

今日は貸し切りをしない 予約を15名入れて

一般のお客さんも入れてという形だった模様。

 

時間が来るまでに

なんとかスタッフさんが来てくれたけれど大忙し

お茶ついで出して

席の案内して

提供する料理を出すというのは私一人では無理で

キッチンのほうからとスタッフさんに任せてしまいました

お茶をこぼすハプニングも起こって処置したりで

こっちにお茶来てないわよーお茶~お茶~って呼ばれて わかっとりますがな そう急がないでおくれよ

と思いながら自分の中でできるいっぱいのスピードで行っていたのでした。

一般のお客さんも待たせてしまったり 騒々しい中でお食事というのもなんだかなって

思っていると

スタッフさんも昼って大変だね

いや、もう前回の初回でほぼいなかったからわからないだろうけど

一般のお客さんの対応&予約のお客さんを数少ないスタッフ(メンバー入れて)

するのってきついのよって言いました

でも お客さんに対しても我々スタッフ間に関してもきついことだと思うので

そういうのはきちんと話し合い重ねないといけないことだと思うのよね

受けましたからやってください いややってくださいというのもないな

なんだろうこの暗黙の了解でずっと動いてしまっているのって

と思いながら過ごしているわけです。

 

ほかには 

最近 洗い場に 4時間くらい入っている子がいるのだが

マイルールがあって自分より手下にみてる人に対しての圧力がひどくて

物をどん!と殴り置くみたいに当てつけながら

低い声でうなる

それが威圧的でこわくて

それに対して みんな見ないふり 触れないふり

そして ごめんねともいう

いや あなたのわがままなだめてあげているだけなのだよ

先ほども横で一緒に洗い物をしていたスタッフさんが気に入らないのか知らないけれど

威圧していた

洗い物のケースをどん!と別の場所に突然置いて

この間は 別のスタッフさんが下膳した起き方に気に入らなかったのか

言葉になっていない言葉で怒っていて

そういったことが起きているカウンター挟んでこちら側のフロアではお客さんの

大きな笑い声やら話声やらで

目の前にいるお客さんは壁の彫刻についてなにか話しかけている

そこに 相槌を笑顔をすこし引きつらせながら

いる私があるわけです

そういう状況と

私自身につかれてしまうのです。

 

これって その ハイリーセンシティブというものなのだろうか?

 

疲れる

お昼休憩も きちんとしたイステーブルの環境がなくて疲れるので

早めに切り上げてしまったり 

なんだか疲れる。

 

 

年明け45日め ゆっくりの一日

今日はおてんとうさま隠れてどんよりな一日となりました

そしてぶきみなほどのしっとり感とむわっと感が

沖縄にいるような亜熱帯地方の冬みたいなそんなでした。

まだ2月というのに

今日もゆっくりめに起きて コーヒーとラウンドパンをいただき

お昼も軽めに過ごしました

昼下がりは 近くのホームセンターとケーキ屋さんによって

実家にデザートを届けいに行きました。

 

お父さんとお母さんは同じレベルで口喧嘩してました。

おっとさんも一緒に行ったので

どこもこんななのかねぇ?と聞いてしまいました

数年もしたらわたしとおっとさんもこうなるの?とか

気を付けたいですね

というか 父の脳が委縮しだしているのもあるのか怒りっぽくなって

偏屈さが際立ってきてそれに我慢ならない母が父に向けて発する

言葉もさらに追い打ちをかけているのかな

モニターの中の

鯛の頭の話もなんだかって思いました。

帰りは車を実家に渡してきたので

以前から何度も偵察していたホームサウンドをみに

歩いて電気屋さんによって

サウンドバーを比較

結果 いいの見つけて

ネットショップで購入決意したのでした。

年明け44日め 母退院

今日は母めでたく退院でした。

午前に病棟のリビングで待ち合わせ

今日はぬるっと生暖かい陽気

二月の一番寒さの厳しい時期じゃない感じ

相変わらずの父と準備万端の母の姿が 

入院と同じ日にお昼を食べたテーブルについていた

ああ、ここも最後なのねと感傷深さも交じっていたり。

退院しても母は家の中がいろいろ気になるようで

落ち着かない様子。

結局なんか動き回っている母の姿が

私はこたつでまるくなる。

家ではテレビが民法がついていることがほぼなく

社会(日本)の事情?がなんかわかる感じがする

特に何をするわけでもなく

インターネット(スマホ)のサーフィン 主にSNSしてすごしていた。

国会って いつもあのような話し合いをしているのでしょうか?

なんか 馬鹿なのか賢いのかなんだろう。不思議なかんじです

たぶん次元の違いというものなんだろな。と思ったり

そういう話を私たちきっと求めてない

もっとシンプルで理解しやすいことの話し合いをしていただきたい

 

そうおもった久々の国会でのお話合い?でした

 

さて これからまたデザインのお勉強いたします。

今日は珍しく早いアップですが

夜のご飯を作って くつろぎタイムと行きます。

 

年明け43日め 母退院前日

いよいよ 長かった母の入院前検査 入院 手術

経て

明日退院です。

病室でおっとさんもいっしょに話がはずみました

わははおほほってできるのはいいですね。

母も切ったおなか抱えて笑っています

最後に 院内のレストランで食べ納めもしてきました。

札幌らーめんもおしくて 天丼もおいしくて

何度か来ている病院でしたが 20年以上へて

食すことになったし

売店のコーヒーもオーガニックコーヒーでおしかったです。

 

就労支援の通所時間を初めて間違えてしまい

11-14時かと思っていったらシフトに12-16時ガーン。

お願いをして15時までにしていただきました。

コロナのこともあってここしばらくお客さんの入りが閑散としていたのですが

今日はうってかわってにぎわいました

そんなときに 苦手のお客さんが…

京都出身というそのお歳がけっこう行かれているというお客さん

私が休憩に入るころにいらっしゃり

ネタ切れで一時ストップの声が厨房から

ああ、おじいちゃん また機嫌悪くなるかなぁと

出たタイミングでおじいちゃん、外にいたので

あきらめて帰ったんだと思ったら

戻ると スタッフさんに郵便局に出られて戻ってきたら冷めてしまったので

温めなおしてほしいとのことでと事情説明をうけました。

ほどなくして食して 帰るときに

しょっぱいねー

料理人は関東の人?(それ以前にも言ってたなー)

そんな話を母とおっとさんに聞いてもらって

なんとか ため込まずにはきだすことができたのでした。

お母さんと おっとさんで話す機会があって

二人で話せてよかったです。

離職を心配している私の両親

おっとさんからの言い分はおっとさんから直接聞いたほうがいいと思って

しばらく二人で話してくれました。

今回の就職 離職もなかなか特殊ケースだったことで

自分が望んだ離職ではなく会社都合だったことなど

うつの状態が安定しない状態でのスピーディーな職探しはきついと

良い意味で叱咤激励を母がしてくれました。

 

そして 今日は デザインのことをおっとさんにやりかた教わりました

教わることが目白押しで途中気が遠のきましたが

少しずつ進めていこうと思いました。

thank you!